聖なる夜、クリスマス。
 街は明るくライトアップされ、皆、楽しげな雰囲気を漂わせている。
 そんな人々から少し離れた場所の遥か上空に、月の浮かぶ雪空を駆ける影。
 影の目指す方向には、一軒家の建ち並んだ、小さな街があった。


       夜の仕事人†


 今日、12月25日。かのイエス・キリスト生誕の日であり、子供達の待ち望んできた日でもある。
 そう、聖なる夜、クリスマス。
「‥‥人生最悪なクリスマスだよ‥‥!」
 なのに、あたし、華の女子高生こと佐山 鈴音はそのことを素直に喜べずにいる。
何故かって?それは‥‥って、ちょっと待て。あたしの名前の読み方、間違ってる人居ない?すずねじゃない。りんねだりんね。輪廻転生のりんね。 全く、もの凄く分かりやすい名前をつけられるのも何だかなぁという感じだけど、一発で読めない名前をつけられた子供は、小・中・高と出席をとるとき名前を訂正しなければいけなくなる。
 よく間違われる名前には、ルビでもつけておいた方が良いと思う…‥って、 そんなことは果てしなくどうでもいいのだ。
 現在の議論すべき問題は。
「鈴音、聞いて喜べ!‥じゃじゃーーん!三日後に、新しいお母さんが来るぞ!」
「‥父さんが妄想の中のことを現実と混同するまで追いつめられてるとは知らなかった ‥ああ‥娘失格だわ‥」
 また親父の馬鹿がはじまったか、と、額に手を当てて大袈裟に嘆いてみたが、親父は私の言葉には 構わず騒ぎ続けた。
「父さんは、再婚するのです!嬉しいか?嬉しいだろ!ってことで、 一緒に住むことになったから!」
「‥‥え、マジ?」
 一言で言うと、冗談じゃない。 
 もちろん、もうガキじゃないんだから、『あたしのお母さんはお母さんだけ』なんて事はないし、 母さんが昇天してからもう10年近く経っているのだから、今まであたしを男手ひとつで見事 育てたウチの親父には再婚する権利が十二分にある。
 だが。しかし。はい?今なんて言いました?『三日後』?しかも、何?いきなり 『一緒に住むことになったから』?いくらなんでも、あたしにも心の準備ってものがある。 なので問いつめたら「だって、驚かせようと思って!」なんてほざいた。うん、そうね。そうですね。 驚いたよ、物凄く。驚きましたとも。 でもそれとこれとは、別問題じゃない?まだ若い父親なので、再婚は不思議じゃない。 むしろ、今まで再婚しなかったのが不思議なくらいだ。 そりゃさ、最近なんかよく出かけてるなとは思ってたけど、まさかいきなり再婚するとは、ね? 見たことも無い赤の他人が三日後から『母』として一緒に住むんですよ奥さん。 そして、最初のアッパーが見事に決まり、頭がくらくらしていたあたしに、また容赦ないジャブが襲ってきた。
「それとな」
 やめろ!この上何を言おうと言うんだ!とあたしは急いで体勢を立て直そうとしたが、間に合わなかった。
「ママだけじゃなく、可愛い弟まで出来るんだぞ〜!良かったなー。 お前、昔から弟が欲しいって言ってただろ?」
 クリーンヒットだ。というか、ちょっと待て。そんなことを言ったのは誰だ?
いつ!どこで!私がそんなことを言ったと言うんだ?親父の言う『昔』は本当に昔なので困る。 それに、『から』って、何を今もまだ弟が欲しいと私が言い続けているような表現を使うのだ。 馬鹿親父の上弟の面倒まで見るなんて、精神的過労で倒れてしまうじゃないか。
 今の私はどちらかというと頼りになる兄が欲しい気分だ。そういう兄がいれば、 この頭の中花畑親父と一対一で戦わずに済む。ああ、ギブミービッグブラザー。
誰か親父の手綱をとってくれと思った事は、とりあえず50回を軽く越える。越えるのだが、いくら何でも急すぎる。ずっと育ててきたけどいまだに手に負えない暴れ馬が、ある日突然無名のジョッキーを牧場に連れてきたようなものだ。継母の上、連れ子が三日後の朝、来るという事実のせいで、賑やかなクリスマスの街並みでさえもけばけばしく思わせる。
‥まあ、意地悪な2人の姉じゃなくて良かった、とここで思ってしまうあたしは、甘いのだろうか。
いや、決して甘くない。それは自覚済みだけどね。

  兎に角、そう言うわけで、よく内容を知らぬままに定められてしまった法令に反対の意を示すべく、 デモ行動を気取るあたしは、クリスマスの朝からその辺の喫茶の中にいる。
リュックに水筒と弁当と財布やら何やらを詰め込み、家を出たのだ。 もちろん、ケータイなぞもともと持っていないので、電源を切る必要もない。 自分の行動がまるきり子供の我が侭にしか見えないと言うことは、十分分かっている。 でも、分かっていても、やめられないということはあるのだ。 友達の家だと直ぐバレる可能性があったので、敢えてそのへんの喫茶だ。 割と直ぐ近くの場所に居た方が、気づかれにくいと思ったのだ。
というか、この喫茶、なかなか雰囲気がいいな。ええい儘よと入った割には、内装もお洒落で、 コーヒーも美味しい。あたしは顔に似合わず、ブラックが好きなのだ。 しかも、銘柄とかは知らないくせに味だけにはうるさい、コーヒーフリークもどき。 予定していたよりも長い時間をその喫茶で過ごした後、その辺の公園で弁当を食べ、 我が家にもどって、屋根の上に居ることにした。灯台もと暗しと言うが、灯台上暗し。 まさか、自分の真上に居るとは思わないだろう。
 屋根の上から見ていると、先程からずっと、親父がコートも着ずに、寒い中をちょこちょこ走り回り、 通りがかった人を次々に捕まえて、何かを必死な様子で訴えかけている。訊かれた人が首を振ると、 がっくりと項垂れた。しばらくそれを繰り返した後、困り果てた様子でりんねー!と叫びながら 駅の方へ向かった。
「‥‥‥あたしは、帰らないかんな‥‥」
 ひとり呟いた言葉が、白い水蒸気になって大気の中に溶けてゆくのを、じっと睨みつける。 どんなに心配されようが、今ひょいと出て行ったりしたら、完全にあたしの負けだ。 冗談じゃない。これは、親父が全面的に悪いのだ。そうだ。あたしは悪くないのだ。 子供の気持ちもくみ取れない親父が悪いのだ。
 その後も家とどこかを行ったり来たりしてあたしを捜す親父を見ながらも、あたしはずっと屋根から降りなかった。
 屋根に登ってから何時間経ったのだろう。日が暮れるにつれ、辺りは段々と暗く、寒くなってきた。
「は‥は‥ぶえっくしょい畜生!」
 この乙女らしからぬ親父クサイくしゃみはあたしのものだ。ちなみにくしゃみは、漢字で『嚔』と書く。どうだ、知っていたか。この前辞書で調べたら出て来たのだ。あたしだってこんなメンドい字は書きたくない。
「‥‥う、うぅ、寒っ、これだから冬は嫌いなんだぁ‥‥」
 あたしはぬかりなく持ってきておいた毛布にくるまっていたが、そんなモノで紛らわせられる程、真冬の夜は温かくない。
 しかも。
「びゅ‥びゅーてぃほー‥‥」
 私の手袋の上に落ちたのは、水蒸気が空中で昇華し結晶となって降る白いもの。
 そう、雪だ。
 もはや天まで、あたしのことを見捨てたのだろうか、と恨みがましげに空を仰いだあたしの耳に、 下の道を行く親子の会話が聞こえてきた。
「わあ‥雪!雪、雪だ〜っ!ね、お母さん、雪!」
 見ればわかるだろ。
「あら、本当ね‥綺麗だわ‥ホワイト・クリスマスね。きっと、ミカが良い子だから、神様がプレゼントしてくれたのよ」
 何だその運動会の校長の演説みたいな持論は。ミカちゃんって誰だよ、娘の名前か。 ミカちゃん(推定)が、はしゃいだ声で天を仰ぎ、わぁ〜い!神様、ありがとう!と元気よく叫んだが、 今の私の心境はどちらかというと、わぁ〜い。神様、地獄に堕ちろ!だ。
 もう、何もかもが恨めしくて、普段なら微笑ましく思う親子の会話にまで毒を飛ばしてしまう。 そして今度は、(推定)ミカちゃんが今のあたしにとっては悪夢でしか無いような歌を歌い始めた。
「雪や、こんこん♪あられや、こんこん♪」
 やめろ、やめてくれぇぇぇ!寒いよ。色んな意味で寒いよ!と心の中で力の限り叫んだが、去っていったミカちゃんの歌が届いてしまったのか、雪はどんどん激しくなってきた。
 まずいなぁ、これ。寒いし。家にコートとか取りに入ろうかな。いや、でもそれじゃ負けになるし‥‥‥そろそろ許してやろうかな、クソ親父‥‥。いや、コレは断じてあたしが寒いからとか冷え性からだとかそう言うことではなくそろそろ許してやらないと可哀想だと思ったからなのだ。
 しかし。
 でも。
 そんな葛藤を心の中で繰り広げながら、あたしはいつしかうとうとと眠りの世界へ旅立っていった。

*        *         *         *         *

「‥‥って、ちょっと待てあたし!雪山遭難とかでこういうシーン無かったっけ?寝たら死ぬよね、 多分これ!死んでたまるか若い身空で!」
 というのは半分嘘で、完全に眠りに落ちる前に、なんとか不屈の精神力で持ち直したのだ。 ふー‥危ないアブナイ。危うく永遠の眠りについてしまうところだった。 しかし、これは非常にマズイ。もう辺りはとっぷりと夜になっていて、真っ暗だ。雪は止んでいるが、凄く寒い。
 そんな風に眠気との戦いをしながら、あたしが半ば本気で凍死の心配をし始めたときだった。

 ‥‥シャン‥‥。

  それは、微かな鈴の音。
「‥‥鈴の‥音‥?は、はは‥‥。やだやだ、幻聴まで聞こえてきたよ‥」
 それとも、あたしはここで死ぬのだろうか?死ぬ直前に、自分の名前の由来に出会うなんて、 オツなことするねぇ、神様も‥‥。

 ‥‥シャンシャンシャンシャン‥‥。

あー‥‥なんだか、鈴の音が大きくなってきた気がする。どうせなら、死ぬ前にキャビアとトリュフと フォアグラ‥いや、そんな大層なもんじゃなくていいから、超高級松阪牛とやらを 食べてみたかったなぁ‥‥。あぁ、松阪牛‥‥。

 ‥シャンシャンシャンシャンシャンシャン。

「‥うるせぇなぁもう!折角松阪牛のこと考えてたのに‥!!‥ってアレ?」
 ここでようやくあたしは、この鈴の音が幻聴でないことに気付いた。
「な‥‥!?何、何なのさ、一体!?」
 まさか。あたしは少し恐ろしくなり、屋根の上の偽煙突(親父が自分の趣味でつけた)の後ろに隠れた。 まさかまさかまさか。今日は12月25日、聖なる夜。まさか、そんな‥という思いを抱えながら、 煙突の後ろからそっと様子を伺うと。
 街頭に照らされた雪道を、サンタクロースの格好をした男が手に持った鈴を鳴らしながら ざくざく歩いていた。
「ふざっけんなアァァァァァァ!!」
 あまりにもあんまりな事態に、あたしは今家出中と言うことも忘れて叫んでしまった。
普通、この展開なら空から舞い降りてくるだろうサンタのソリが!!トナカイ達が! なんで単身でしかもわざわざ手に持って鳴らしてくるのと脳内パニックに陥った。 しかし、はっと我に返り、急いで煙突の裏に隠れたが、時既に遅く。
「うぉ!?何で屋根の上に人が‥!?」
  気付かれてしまった。しかも、うわぁ来たよ来たよコレ!! 変人に変なモノを見るような目で見られてるよ!!眉間に微妙にしわ寄せてじーっと見てるよ!
 そいつは、サンタの赤い服に、真っ白い髭とぽっちゃりしたお腹のおじいさんではなかった。 ごく普通の体型の、黒髪短髪の男。そして目はなんと蒼。黒髪碧眼、ってところだ。 私、視力は割と良いのだ。ただし、サンタクロースの衣装と肩に担いだ白い袋だけは想像と同じだ。
「なんだアイツ、いきなり叫びだして‥‥春じゃなくてもヘンなのは居るもんだな‥‥」
 そいつは、はぁー、とため息を吐いた。別にそのため息の音が聞こえた訳ではなく、 ぽっかりと開けたヤツの口から白い息がわーっと出たから分かったのだ。失敬なっ!
「ちょっと!こっちに聞こえてないと思って何、好き勝手言ってんの!?」
 屋根の上に仁王立ちして文句を言ってやる。これ、結構度胸が要るのだ。 足を滑らせれば一巻の終わりだし。
「え!?聞こえてんの!?ってかなんかこっち見てるしなんだアレ!屋根の精か!?」
サンタ男は驚いた様子で声を上げた。悪いな、聴力も結構いいのだ。っていうか‥何だ、屋根の精って。発想が小学生レベルなんですが。
「違うから。バッチリ見えてるし!それに屋根の精なんてけったいなモンじゃない!」
 そう言うと、サンタ男はいよいよ不審そうにあたしを見た。
「屋根の精じゃないんならアンタそこで何してるんだ!?泥棒か!?」
 なっ‥‥失敬な!よりによって泥棒?と憤ったけど‥確かに、よく考えるとこんな深夜に人様の 屋根の上に居るって、かなりの不審人物だよな。ええい、でも知るか!
「ちっがう!あたしは正真正銘この家の娘です!そっちこそ何でサンタの格好してるの!? しかもなんでそりも赤鼻のトナカイも無いの?なんか期待をハンマーでたたき壊された気分 なんですけど、あの手動ベルには!」
 言いながら勢いよく座り込む。流石にずっと立っているのは怖いし寒かった。
「いや‥‥だってバイトだし。それに鼻が赤いトナカイなんているはずないだろ」
「バイトかよ!しかもルドルフ全否定!?また見事に夢を打ち壊されたよ。これでも一応あたし、 サンタ信じてたんだけどついさっきまで!!」
「その年になってか!?ぷっふー、今どき居たのか、そういう純情ッ子が」
「うるせぇぇ!人は夢を見ないと生きてゆけないんだよ!」
 言っている間に、何故かそいつはあたしの家に近寄り、壁に立てかけてある脚立を上り始めた。
「‥え?ウソ、ちょっとなにやってんの?バイトすっぽかしてなんで人様の家に上り始めてんの?」
「え、だってバイトの5件目、ここだし」
 あたしの夢はもうずたぼろだ。違う。きっとあたしがもう高校生だから来ないだけだ。 子供の時はきちんと本物のサンタさんが来てくれたはずだ。そう信じたい
「ここかよ!ってことは、もしかして昨年も一昨年もバイトのサンタ!? まさか、親父が呼んだの‥‥はっ!だとしたら‥‥ねえ、アンタもしかして毎年来てる?」
「アンタじゃなくてサンタですーって、毎年?この家に来るのは今年が初めてだなっていうかそっちの ‥‥えーと、純情ッ子さんは」
 自分とはほど遠い筈の形容詞に、馬鹿にされたような気がしたので、怒りつつ勢いよく立ち上がる。
「純情ッ子言うなこのアホサンタ!泣く子も呆れる佐山鈴音とはあたしのことでぃ!」
 歌舞伎よろしく虚勢を張ってみるけど、屋根の上で足場が悪いのでふらつき加減、 しかも毛布を被った情けない姿じゃ格好良くは決まらない。逆に恥ずかしくなってしまったくらいだ。
「俺の中でワースト3にランクインされるくらいどうでも良い情報をありがとう」
「どういたしまして偽サンタ」
 自分の中の猛烈な恥ずかしさを八つ当たりに近い形でぶつけるため、偽、に力を込めて言うと、 サンタ男は心外そうな顔をした。
「偽ってお前、俺を呼ぶときは“サンタさん”と敬意を込めて呼べ」
「もとから存在しないモノは込められないんだけど」
 誰が呼ぶか、とやさぐれてみるが、サンタ男は私の台詞を半ば無視して立ち上がる。
「うるさい。俺はとりあえず、プレゼントをこの家のガキの枕元に届けないといかんのだ」
 そう言うと、そいつはハリボテの煙突に手を掛けた。





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